美しい羽地内海を一望する景色は沖縄八景にも選ばれた景勝地である。
嵐山では、さとうきびの他、パインアップル、お茶、観葉植物などが栽培されている。北部での山地開発のさきがけであり、
戦後、農協と部落が協力し、鍬一本で切り開いていったのが始まりだといわれている。
大正5年に高嶺製糖工場が建設。南部一帯のサトウキビが集められ工場周辺は活気に満ちていたが、
戦争により壊滅的な被害を受け、今は門柱とタンクだけが残っている。
工場跡は日本近代化に貢献した施設として評価され、経済産業省から「近代化産業遺産」に認定された。
羽地内海に浮かぶ島であり屋我地・古宇利・ワルミ大橋の3つの橋で本島と古宇利島へ結ばれている。
羽地内海に面する干潟ではマングローブの群生があり、渡り鳥が飛来する多種多様な生物の宝庫でもある。
土地改良による基盤整備が進んでおり、さとうきびを中心とした農業が盛んな地域。
尚巴志生誕の地。尚家は農業振興を進めることで力をつけ、後の琉球統一の足がかりとした。
農業に対する熱心な取り組みは今も受け継がれている。
さとうきび畑の真ん中に作られた音楽堂「シュガーホール」があることでも知られる。
海岸沿いに広がる農地と目の前には漁業が盛んな小さな離島、奥武島がある。
旧暦の5月4日(ユッカヌヒー)には奥武島海神祭が行われ、伝統のハーリー大会には多くの人で賑わう。
農業と漁業の雰囲気が近くで感じられ、魅力あふれる地域である。
中南部で標高が最も高く、最大200mになる。
もともとマージの土壌であったが、土地改良で岩盤を取り除きジャーガルの土を厚く敷いたことと、
排水施設を完備したことで生産性の高い圃場となった。
戦後最大の難工事といわれた宜名真トンネルで知られる。
宜名真の先には本島最北端のさとうきび生産地である辺戸地区。
観光スポットで人気の辺戸岬からは迫力あるロケーションが広がる。
ゆがふ製糖までのさとうきび搬入距離はおよそ90キロになる。
標高100mの高台には区画整理された農地、伊計島を一望できる絶景が広がる。
土地改良による島尻マージとジャーガルの客土地域であり、大規模な貯水池も整備されている為農地としての生産性が高く、
さとうきび・芋・葉タバコなどが栽培され農業が盛んな地域である。
西海岸に面した広大な農地が広がる。
戦前は勤労・勤勉・時間励行が進められ、地域を上げて学問と農業に取り組み多くの指導者を輩出したとされる。
現在、土地改良区では夏植えを中心にキビ作が営まれ、キビと芋との輪作体系で農業が盛んな地域である。
沖縄本島最高峰の与那覇岳に代表される国頭山地が海岸近くまでせまる地形であるが、
桃原・奥間周辺地区は平地が広がり水にも恵まれ、以前は米どころ(奥間ターブックヮ)として知られていた。
本島南部地域の集落別生産高1位。
泥岩(クチャ)を主体とするジャーガル土壌は肥沃で保水性に富んでいる為生産性が高い。
戦後、さとうきび生産量が増え、字 経営の富盛共同製糖工場(40t)を建設するほどの一大生産地となった。
北部地域は山が多い中で羽地は広大な平地を有し、川も豊かで昔は米どころとして知られた。
戦後は換金率の良いさとうきびがブームとなり、多くの農家がきびに転じ現在に至る。春植・株出栽培が中心。